九十九山と老農船津傳次平 - 【片手よつこのてくてく山歩き】

九十九山と老農船津傳次平

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九十九山古墳



平成29年11月20日(月)

所用で前橋市に出かける事になりまして、
ようやく「上毛カルタ」の読み札「ろ」
老農船津傳次平氏のお墓に行く事が出来ました。

場所は旧勢多郡富士見村で、現在の前橋市北部
国道17号線の田口町の信号から県道101号線を東に進むと
およそ1kmほどで「九十九山」が見えてきます。
畑のド真ん中にポツンとあるのですぐにわかります。
「九十九山」と言っても正確には「九十九山古墳」です。

九十九山の回りをグルグルと迷いながらようやく見つけました。

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まず唖然としたのは、上毛カルタでお馴染みの読み札の「ろ」ではない事・・・
むむ・・・・
なんで「ろ」を優先しなかったかな~

富士見かるたの「め」になっているΣ( ̄。 ̄ノ)ノ

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そして、この敷地内のお墓の殆どが「船津家」でした。

同じく敷地内に、前橋市指定重要文化財の「原西の阿弥陀座像」とやらが
保管されておりました。
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<Wikipediaより>
船津伝次平(ふなつ でんじべい、天保3年11月1日(1832年11月22日) - 明治31年(1898年)6月15日)は、
幕末から明治時代にかけて活動した農業研究家。

幼名は船津市造。上野国原之郷(後の群馬県勢多郡富士見村大字原之郷、
現・群馬県前橋市富士見町原之郷)出身。篤農家として評価された「明治の三老農」の一人であり、
元駒場農学校及び東京帝国大学講師。

幕末、出身地の名主・村役人として名望を集める傍ら、
実践的な農業技術の改良にあたり、成功を収める。
その実績を買われて明治維新後は中央に招かれ、
引き続き農業技術の改良に取り組みながら、講演等で生涯にわたって各地の農業振興に努めた。
日本の在来農法を基礎に改良しながら、西洋農法の手法をも部分的に折衷した「船津農法」の考案者である。
46歳の時に群馬県赤城山麓の農業指導者から駒場農学校の教官に抜てきされ、
講義の傍ら、自ら先頭に立って学生達と一緒に駒場の原野に開墾のクワをふるって農場を拓き、
実習田をつくった。経験を重んじる在来の日本農業に西洋の近代農法を積極的に採り入れた
「混同農事」に力を入れ、その後、この農法は全国に普及していった。


折角なので「九十九山」にも登ってみましょう!

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古墳なので山頂ではありませんが
とりあえず一番高い所。
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老農船津傳次平氏の墓地が見えます。
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サザンカが沢山咲いていて綺麗でした。
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九十九山付近から見た赤城山
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※リアル上毛カルタ巡りの記事はこちらをクリック
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コメント

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No title

よっこさん、こんばんは。

忙しそうですね、それでも時間を作っての歩き、良いですね!
marukeiの事ですが、家族が一番、仕事は二番、そのために心と身体を健全にするのが登山でした。
今日は7km以上歩いたら最初から足が重い、身体は音を上げる、心は折れかける・・・。
三年前は裏庭のように毎日歩いた道を歩けなくなりました、痛切な思いでした。

老齢になって味わう悲哀です、来年こそと思って頑張りますが・・・。
よっこさんの登山記事で満足しないようにしたですね。

Re: No title

marukeiさんへ

定年まで頑張って働いてきたからこそ自由な時間がたっぷりあって
それはそれで羨ましい限りですよ^^
働き盛りは時間がありません(><)
最近全く山に行く時間がとれなくて
こんな古墳でさえ、とりあえず登ってしまえ!といった感じです(^^;)
自由に山歩きする時間が出来るまで
まだまだ働かなくては(><)

これからは健康が1番!です。
風邪などひかないように、可愛い小鳥たちの写真を
沢山見せて下さいね!