和算の大家関孝和と心の燈台内村鑑三 - 【片手よつこのてくてく山歩き】
FC2ブログ

和算の大家関孝和と心の燈台内村鑑三

雨なので上毛カルタ巡りです。

読み札「わ」・・・和算の大家関孝和とは
藤岡に生まれた関孝和は江戸で数学の研究を続け、
世界的学者となりました。まさに和算の大家であります。
当たり前ですが、歴史上の人物の為、すでにお亡くなりになっていますので
お墓詣りという、なんとも渋い上毛カルタ巡りとなっております(^^;)

場所は、群馬県藤岡市にある龍田山光徳寺です。

まずは山門
PA212518.jpg

山門の奥には、更に大きな門があり
門の中の両脇には立派な仁王像?のような像がありました。
PA212519.jpg

おおきな門を潜ると、どこからともなく真っ白なネコちゃんが現れました
PA212520.jpg

まるでお墓詣りに来る来客を出迎えるかのように
「え~、今日はどんなご用件でしょうか」とでも言っているようです(^^;)
PA212528.jpg

「あ~、さようですか、ではこちらへ」
そんな感じの態度で、なんとなく案内するかのように歩き出すネコちゃん。
PA212531.jpg


立派な本堂です。
PA212532.jpg

本堂の横に大きなオオベニタデ
PA212534.jpg


まさかとは思うが、このまま関孝和先生のお墓まで案内してくれのだろうか?
そこは、やっぱりネコ、ここで終了∠( ^ o ^ ┐)┐
PA212533.jpg

墓地に向かう途中には大きな「綿の木」がありました。
PA212535.jpg

綿の花
PA212536.jpg



本堂の左脇から裏手に回ると墓地がありました。
その中でも一番奥の方に関孝和先生のお墓がありました。
PA212537.jpg

普段お墓の写真を撮るなどという事はまずありませんが
偉人のお墓という事で、お賽銭なども置いてあり
お参りすると頭が良くなるという話なので、手を合わせてきました。
私の脳みそは、老化の一途をたどるだけなので
息子の勉強のお願いをしてきました。
PA212539_convert_20171022125510.jpg


敷地内には、80年前に製造された藤岡瓦が置かれていて
潜り抜けると魔除けになるという事なので、一応潜ってきました。
PA212552.jpg

PA212551.jpg


さて、帰ろうと山門の方へ向かうと、またネコちゃんが出迎えにやってきました。
PA212554.jpg

「今日はありがとうございました」
そのような感じでお見送りしてくれました^^
PA212555.jpg


以前marukeiさんのブログで見た事のある植物を発見!
「あっ!これだ!」とすぐわかりました。
ショウゾウソウ
ショウゾウソウPA212544

コムラサキ
PA212553.jpg


タマスダレ/ヒガンバナ科
PA212549.jpg


上毛カルタ巡りも、もう大分色々な場所を巡ってきたので
残された場所はお墓詣りという、地味な旅でしたがネコちゃんに花を添えてもらいました^^


━─━─━─━─━━─━─━─━─━─━─━━─━─━─━─━━─━─━─━─━─━─━

もう一つ
読み札「こ」・・・心の燈台内村鑑三
高崎藩の江戸屋敷に生まれた内村鑑三は、札幌農学校からアメリカに留学し、
聖書の研究のかたわら、日露戦争では非戦論を唱えました。

場所は高崎市にある頼政神社です。

この場所がわかりにくくて、過去に2回訪れて見つける事が出来なくて
3度目の正直でようやく見つけました。
PA212455.jpg
左に国道17号線があります。
カーナビで頼政神社の住所を入れると、この場所で
「目的地に到着しました」とナビされるのですが、
駐車場がないんです(^^;)
その為、今まで辿り着けませんでした。
たぶん、ここが正面入口なのでしょうけれど
ゴミ置き場になっているのが残念(><)


駐車場がないので、高崎公園の駐車場に停めて
歩いて行きました。

PA212457.jpg
こっちの方がゴミがなくていいですね^^

石段を登り、拝殿で参拝する
PA212458.jpg


神社の両脇にある「中屋酒」の文字が彫られた杯?
酒屋の屋号?なんなのか良くわからない。
PA212459.jpg

頼政神社の後ろに朱塗りの本殿がある。
PA212460.jpg

頼政神社案内板
PA212456.jpg

元禄八年(1695年)松平右京大夫輝貞公(大河内氏)が高崎藩主に封ぜらるや、同十一年(1698年)其の祖先源三位頼政公を祀って城東石上寺境内(現在東京電力営業所のある所)に頼政神社を建てた。宝永七年(1710年)輝貞公越後村上に転封せらるるや、社も亦其の地に移され、数年にして享保二年(1717年)高崎に再転封されるや社はまた現在地に移されたのである。  頼政公は、平安末期に、源家正統に生まれた武将にして歌人である。白河法皇に擢んでられて兵庫頭となり保元、平治の乱に功をたてた。後に剃髪して世に源三位入道と称す。  後年以仁王を奉じて平氏の追討を図り事破れて治承四年(1180年)宇治平等院で自刃した。家集『源三位頼政御集』がある。又、宮中で鵺を退治した話は有名である。  当社の祭礼は、例年頼政公自刃の日、五月二十六日に行なわれ旧藩時代は上野随一の祭であったと云われる。


※リアル上毛カルタ巡りの記事はこちらをクリック
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント