沼田公園桜祭り2017 - 【片手よつこのてくてく山歩き】

沼田公園桜祭り2017

樹齢400年を超える、沼田公園の名木「御殿桜」
種類はヒガンザクラで、沼田城跡のシンボル的な存在です。

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沼田市は群馬県の北部に位置し、四方を山に囲まれた盆地を中心として、利根川や薄根川・片品川周辺には非常に高い河岸段丘が発達しています。

沼田公園のある崖上の台地に最初に城を築いたのは、鎌倉時代以来この地方の有力者であった沼田氏(ぬまたし)の12代万鬼斎顕泰(ばんきさいあきやす)で、天文(てんぶん)元年(1532)の頃であると云われています。

倉内(くらうち)城とも呼ばれたこの城は、関東へ至る要衝の地にあることから越後の上杉氏や小田原の北条氏、甲斐の武田氏などの戦国大名によりめまぐるしい争奪が繰りひろげられることになりました。

天正(てんしょう)8年(1580)、武田勝頼の命により沼田に進出した真田昌幸(さなだまさゆき)は沼田城を攻略し、さらに翌9年には沼田城の奪還に来攻した平八郎景義(へいはちろうかげよし)を謀殺して沼田氏を滅亡させました。

しかしこれ以後、この地の領有を主張する北条氏とこれに応じない真田氏との間に沼田城をめぐって攻防が続きましたが、同18年(1590)に北条方が真田方の名胡桃城(なぐるみじょう)を不法に攻略したことが契機となり、北条氏は豊臣秀吉の小田原城攻めにより滅亡しました。

秀吉は真田昌幸に対し信濃2郡と利根・吾妻の旧領を安堵(あんど)し、昌幸は沼田城を嫡子の信幸(のぶゆき)に与え信濃国(しなののくに)上田へ移りました。

<沼田市HPより>


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夜の御殿桜
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鐘楼ライトアップ
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提灯点灯
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コメント

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No title

沼田城は昨年のNHK大河ドラマで話題になりましたね。
築城以来、何度も城主が変わったスケールの大きな城ですね。
文化財に維持管理は大変なんだそうですよ。

Re: No title

おひさんへ

そうなんです。
昨年の真田丸は地元が舞台という事で
大変盛り上がりました^^
当時の城が残っていないのが残念で、再建の計画もあったようなのですが
相当な費用がかかるとの事で白紙になってしまいました(><)
当時の城址として見る事が出来るのは御殿桜の下の石垣のみとなってしまいました。