上毛カルタ巡り~平和の使い新島襄~しのぶ毛の国二子塚~ - 【片手よつこのてくてく山歩き】

上毛カルタ巡り~平和の使い新島襄~しのぶ毛の国二子塚~

全くもって山登りが出来ていない今日この頃・・・
また上毛カルタ巡りです(^^;)

今回は「へ」・・・平和の使い新島襄(にいじま じょう) 
新島襄という名前は子供の頃から良く知っているが
じゃあ何した人?と聞かれたら答えられない・・・

どうやら3年前の大河ドラマ「八重の桜」で、新島襄が取り上げられていたらしい
私が大河ドラマをちゃんと見たのは今回の「真田丸」が初めてで
それまで見た事がなく、今更ながら見ておけば良かったと後悔・・・

どのような人物だったのかを探るために安中市にある
新島襄先生旧宅へ行ってきました。

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駐車場は車が20台ほど停められるスペースがあり
トイレまで完備!素晴らしい!
建物の保存状態もかなりいい感じです。

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中にはボランティアガイドのご年配の方がいらっしゃいまして
それはそれは丁寧に解説してくれます。
お屋敷の中は無料で見学出来ます。

このおヒゲの立派な方が新島襄先生です。
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ガイドさんの説明によると、新島襄の父親は江戸でお殿様に仕える書記であった為
襄も幼少期より頭が良く、下の2枚の絵は襄が12歳で描いた物だそうですミ☆⌒ヽ(*゚ロ゚)ノ
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上毛カルタの読み札にもなっている「新島襄先生」ですが
なんと、群馬県に滞在していたのはたったの3週間だったそうですΣ(゚д゚|||)
そもそもは江戸で両親と暮らしていたが、明治になり城は廃止となり
安中市にお屋敷を与えられた訳でありますが、そのタイミングで襄はアメリカへ渡ったため
お屋敷には両親と姉だけが住んでいたそうです。
キリストの影響を受けた襄がアメリカから帰国し、新島宅で両親と再会し過ごした
たったの3週間で集会を開きキリスト信者を得て、その後襄は神戸へ行ったそうです。
そこで八重さんと出会ったんですね~
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八重さんとのツーショットです。
着物なのに革靴とお洒落なハット(*゚Q゚*)
当時のファッションの最先端だったんでしょうか。
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ガイドさんの説明で衝撃の事実を知る事に・・・
なんと「襄」は本当の名前ではないんですΣ(ω |||)

新島家には代々女子しか生まれなくて
やっと生まれた男子が「襄」でした。
喜んだ祖父が思わず「しめた!」と叫び
その言葉がそのまま名前になり「七五三太」(しめた)と名付けたそうです。
では「襄」という名前はどこからきたのかと申しますと
アメリカに渡った七五三太は自分の名前が好きではなく
アメリカ人が呼びやすいように自分で勝手に「襄」(ジョウ)と名乗っていたそうです(^^;)
  
     そうですか・・・

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新島襄先生旧宅は撮影OKで「どこでも好きなだけ撮影してください」と言うことなので
室内から外庭まで撮影させて頂きました^^

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今でいうダイニングキッチンです。
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なので「炊事の心得」が貼ってありました。
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裏庭にある新島襄先生の石碑
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漆園の記碑
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ボランティアガイドさんがいるのはありがたいですね~
とても丁寧でわかりやすかったです。
パンフレットも沢山頂いて、他にも近くに新島襄に因んだ見どころがあると
教えて頂いたので、そちらも行ってみました。


旧安中藩 郡奉行役宅

古くは藩主板倉勝明の側近山田三川が住んでいたと伝えられ
その後、猪狩幾右衛門懐忠が入り、両者とも安中藩の郡奉行を勤めましたが
郡奉行は領内の村方の警察権や裁判権を有した役職で、配下に代官を置き
領内の農民の統治を担っていました。
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このように独立した家屋に住めるのは一部の上級武士だけで
中位の身分の者は武家長屋に住んでいたそうです。
武家長屋の方は現在わらぶき屋根の修復中で見学出来ず
本来「郡奉行役宅」と「武家長屋」をセットで見学する場合
入館料210円かかるのですが、今日は無料で見学出来ました^^
屋根の修復作業はまだまだ時間がかかるそうなので
しばらくは無料で「郡奉行役宅」だけ見学可能です。

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こちらの「郡奉行役宅」のわらぶき屋根は修復完了しているという事で
綺麗になっていました。
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天井が高くなっている理由は、屋根裏から刀を突きさされた場合に届かないように、
また、この引き戸の高さは現代の住居のドアの高さと比べると
かなり低いのですが、これも刀を振り上げられないようにと工夫されているそうです。
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行灯(あんどん)
今でいう灯り(ランプ)ですね~
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行灯の芯は「ヤマブキ」の木から作られているそうです。
ヤマブキの茎の中はスポンジの様になっていて、押し出すと
このような白い芯が出てくるそうです。
昔の人の知恵は凄いですね~
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※参考までにヤマブキの花の写真です。
2015年5月5日に十二ヶ岳で撮影したものです。
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これはまだ贅沢が許されていた時代の人形らしいです。
なので、結構大きな人形です。
現代のお内裏様とお雛様の立ち位置とは逆になっています。
普段は押入れにしまってあるのですが、開けて見せて頂きました。
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こちらのお屋敷は猪狩幾右衛門懐忠の子孫の女性が平成に入って亡くなるまで
実際に住んでいたそうです。
亡くなる寸前に、管理しきれなくなり安中市に委託したらしいです。

ボランティアガイドさんは基本的にお話し好きな方が多いようで
解説以外の本音をポロッともらしていました(^^;)

仕事が終わる時間が近づくと、毎日ほうきで掃き掃除をしなければならないらしく
「今はね~、長屋の屋根が工事中だから、そっちの屋敷は掃除しなくてもいいんだけれど
工事が終わったら、また掃除が増えるんだよね~・・・」と
つぶやいていました(^^;)


もう一つ、新島襄先生旧宅で教えて頂いた「安中教会」へ行ってみたところ
3週間前までに予約が必要との張り紙が・・・
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ぜひ、そちらも行ってみて下さいと案内されたのに・・・Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

仕方ない、入れないのならせめて外からの写真だけでも
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ご近所に住んでいると思われるご年配の女性が門の前にいらっしゃったので
「今日はせっかく来たんですけど入れないんですよね~」と、声をかけてみた。
すると
「ここは敷地内に保育園があるから入れないのよね、入れてあげたいけれど
ごめんなさいね~」と、

お孫さんのお迎えにでも来ていたような感じでした。


隣接する「旧碓氷郡役所」の駐車場から「安中教会」を撮影

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こちらの「旧碓氷郡役所」も歴史資料館になっていまして
無料見学出来ます。

少し前までは大河ドラマ「八重の桜」に関連した展示を行っていたそうですが
現在は安中市出身の日本画家・真田重吉さん(1923~2012)が中山道 を
実際に歩き、地元の古老や郷土史家の話や文献を参考に日本画に描き残した
「中山道上州七宿画」展をやっています。
真田重吉氏は東邦亜鉛工場で働いている時に、ベルトコンベアに右手を挟まれ
そのままでは体も全部機械のなかに引きずり込まれてしまうため
右手が切れるのを覚悟で、自力で体を引き抜き命拾いした方で
片腕になってから絵の勉強を始めたそうです。
昭和44年の出来事だそうです。
私が片腕になったのは昭和48年、何か縁を感じ絵を見入ってしまいました。

残念ながら、ここは撮影禁止でしたので当ブログをご愛読して下っている皆様に
お届け出来ないのが残念でなりませんが、私は真田重吉氏の絵はとても好きな絵のタッチでした。
ハッキリした色合いながらもフワッとした幻想的な部分もあり
ずっと見ていたい気持ちになれる絵でした。

ここの館長さんもお話し好きな方ですよ^^
色々説明してくれます。
先日行って来た「碓氷峠の関所跡」の解説もして頂きました^^
「入鉄砲に出女」を厳しく取り締まり、人質として江戸に住まわせていた大名の妻子などが
国元へ逃げ帰るのを防ぐために関所で調べ、通行許可を得るためには
書状を江戸幕府まで持っていき、それからでないと許可が下らないので
半年もかかったそうです・・・
今の世にこんな関所があったら、たまったもんじゃないですね(^^;)

そして、この関所は本来は違う場所にあったのを移築してしまったため
国の重要指定文化財の認定を受ける事が出来なくなってしまったそうです。
認定を受けるには、その当時から変わらず同じ場所でなくてはならないのですね~
そういう訳で国から管理費用の援助も受けられず、管理維持していく事は
県にとって財政的にも大変なんだそうです。

なぜ移築してしまったかと言うと「鉄道文化むら」を作るためだったそうです・・・




さて、長くなりましたが、最後に「し」・・・「しのぶ毛の国二子塚」です。

今回見てきたのは「八幡二子塚古墳」です。
「しのぶ毛の国二子塚」というのは、群馬県内に数多く存在する二子塚古墳の総称で
特定の古墳を示すものではないようです。
という事で、「八幡二子塚古墳」も、そのうちの一つと言う事です。

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しばらく山に登っていないと、こんな小高い丘のような場所でも登りたくなってしまいます(^^;)
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